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精矛神社
-KUWASHIHOKO SHRINE-
精矛神社について
元和5(1619)年7月21日、島津家第17代当主義弘公は86歳で鹿児島の加治木屋形にて逝去されます。後に御遺体は福昌寺に埋葬、神主影を加治木本誓寺と伊集院妙円寺に祀られました。
中でも本誓寺では境内に御霊舎を造営し、参拝が絶えなかった様です。しかし、明治期の寺院廃止の命を受け廃寺となります。そこで直ちに加治木屋形内に社殿を造営し、社号を精矛神社と称すことになります。
後の大正7年、この年は公の300年祭に当たりました。そこで、加治木町日木山の公の別荘跡地に社殿を移し、同年11月に御遷座を執り行われました。これが現在の精矛神社になります。
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